駅名のハテナ?、由来について調べてみた

駅名のハテナ?、由来について調べてみた

四ツ谷駅は、なぜ「四谷駅」ではないのか? 「ツ」がつく理由を調べてみた

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「四ツ谷駅って、なんで『ツ』がついてるんですかね」
雑談中、ふとそんな話題が飛び出した。

JR中央線と、東京メトロ丸ノ内線が走る四ツ谷駅。

この駅がある地名は、実は「四谷」。学校や警察など、公的機関も「四谷」。丸ノ内線のお隣も、「四谷」三丁目駅。都バスに至っては、駅前にあるのに停留所名は「四谷駅」。

駅の名前だけが、「四ツ谷」。

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なぜか、真ん中に「ツ」が入っている。

 

JRに問い合わせてみると…?

(最近近所の話ばかり書いているような気がするが)四ツ谷駅はJタウンネット編集部から徒歩5分ほど。最寄り駅の一つであり、日ごろ使っているメンバーも多い。とても馴染みのある駅だ。

近いのでこうして撮影にも来れちゃいます
近いのでこうして撮影にも来れちゃいます

「ツ」、なんで駅の名前だけ――T編集長は調査を開始した。

まず尋ねたのは、JR東日本だ。突拍子もない取材依頼に、相手も少し戸惑った様子だったが、数日後、東京支社の担当者から連絡があった。

「調べてみましたが、『ツ』がついている理由について、社内では正式な資料は見つかりませんでした。ですので、広報として正式な回答はできませんが――」

ただ、駅職員などが利用客に聞かれたときは、以下のように答えているという。

「『四谷』のことを知らないと、『よつや』とは読みにくいので、間に『ツ』を入れているのではないか、と……」

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同様のケースはほかにもあるが

実際、地名と駅名が食い違うケースは、四ツ谷(四谷)だけではない。

たとえば隣の市ケ谷駅は、地名が「市谷」。阿佐ケ谷駅は「阿佐谷」。いずれも、「ヶ(ケ)」が補われている。いずれも、正しく駅名を読ませるため――といわれることが多い。

JR Ichigaya Station 120th Anniversary
なるほど、一応理屈は通っているが……。

もう少し調べてみよう。

T編集長が向かったのは、新宿区立四谷図書館だ。ここも「四谷」。

 

地名の起源は?

そもそも「四谷」って、どういう意味なのだろうか。

安本直弘さんの『改訂四谷散歩』(1998年)という本によると、地名の由来については、江戸時代からいくつかの説があるという。ざっくり言うと、

(1)4軒の家があったから「四ツ家(四ツ屋)」→四谷に変化
(2)4つの谷があったから「四谷」

 

安本さんは断定を避けているが、やや(1)の方が有力なようだ。1934年の『四谷区史』も、(1)説を採っている。

なんにせよ、徳川家康が江戸にやってきたころの「よつや」は、わずかな家や谷くらいしかない、小さな町だったらしい。なので、「よつや」という地名も、長らく正式なものではなかった。

 

明治時代にも結構ごっちゃ

その後、徐々に発展していった「四谷」だが、実は江戸時代から、「四ツ谷」という表記はよく使われていた。

当時の浮世絵や地図などでも、「四ツ谷」がかなりある。

1864年(元治元年)の「四ツ谷絵図」。表題の欄に「四ツ谷」とある(国会図書館データベースより)
1864年(元治元年)の「四ツ谷絵図」。表題の欄に「四ツ谷」とある(国会図書館データベースより)

「東海道名所之内 四ツ谷」。1863年(文久3年)の浮世絵。当時の四谷の様子もうかがえる(国会図書館データベースより)
「東海道名所之内 四ツ谷」。1863年(文久3年)の浮世絵。当時の四谷の様子もうかがえる(国会図書館データベースより)

その後、明治になってからは1878年(明治11年)に「四谷区」が誕生し、以後「四谷」を使う傾向がだんだん強まっていくのだが、「四ツ谷」も依然強い。

たとえば1875年(明治8年)、この街に初めてできた小学校は「四ツ谷学校」(現在の四谷第一小学校。5年後に「四谷」に)。四谷区誕生直前に作られた素案(下調べ)でも、「四ツ谷区」という名前が使われている。1900年代の東京市(当時)の告示でも、「四ツ谷」という表記が混在していることが確認できる(以上、四谷区史などに引用されている文書を参照)。

実際、『新宿区町名誌』(新宿区教育委員会編、1976年)には、以下のような記載がある。

「『四ッ谷』は江戸時代から明治中ごろまで多く、明治末からは『四谷』が多い」

 

幕末~明治の浮世絵師・月岡芳年晩年の作品「新形三十六怪撰」より「四ツ谷怪談」(1892年(明治25年))。直接の地名ではないが、「四ツ谷」表記がこのころにも使われていたことがわかる
幕末~明治の浮世絵師・月岡芳年晩年の作品「新形三十六怪撰」より「四ツ谷怪談」(1892年(明治25年))。直接の地名ではないが、「四ツ谷」表記がこのころにも使われていたことがわかる

 

駅ができた当時は「ツ」が珍しくなかった

四ツ谷駅ができたのは、1894年(明治27年)。

1890年(明治23年)、四ツ谷駅開業前に甲武鉄道が作成したパンフレット。見づらいが、新宿の隣に「四ツ谷」とある(国会図書館データベース)
1890年(明治23年)、四ツ谷駅開業前に甲武鉄道が作成したパンフレット。見づらいが、新宿の隣に「四ツ谷」とある(国会図書館データベース)

正式な地名としてはすでに「四谷」に統一されていたが、一般的には「四ツ谷」と「四谷」がまだ混在していたタイミングだ。

当時の鉄道会社(最初は私鉄・甲武鉄道の駅だった)の関係者の中では、こんなやり取りがあったのではないか。

担当者A「新しく作る駅の名前、どうします?」
担当者B「正式には四谷なんだっけ? でも四ツ谷って普通に言うし、『四ツ谷』でいいんじゃない?」
担当者C「そっちの方が、名前も間違えられないだろうしな」

というわけで、Jタウンネットの結論としては、通説の「読み間違いを避けるため」に加え、「当時は『四ツ谷』が普通だったので、あまり考えずに『四ツ谷』にしちゃった」説を提唱したい。

国有化の3年前、1903年(明治36年)に刊行された旅行ガイド本「中央線鉄道旅行案内」より。駅名も「四ツ谷駅」だが、地名の「四谷区」も「四ツ谷区」となっており、まだ区別があいまいだったことがうかがえる
国有化の3年前、1903年(明治36年)に刊行された旅行ガイド本「中央線鉄道旅行案内」より。駅名も「四ツ谷駅」だが、地名の「四谷区」も「四ツ谷区」となっており、まだ区別があいまいだったことがうかがえる

 

「ツ」って必要なのだろうか

軽い理由で付けられた名前かもしれないが、今となっては貴重なお江戸言葉の名残り。大切にしてあげたい気もする。

一方こうして原稿を書くときに使い分けが面倒くさかったり、乗り換えアプリで検索するときなどにわかりにくかったりするので、いっそ「四谷駅」に統一してしまった方がいいようにも思える。

四ツ谷駅の「ツ」、その明日はどっちだ。

引用元 http://j-town.net/kanagawa/column/gotochicolumn/231863.html?p=all

 


 

2016年の干支「さる」にちなんだ駅名を調べてみた

 

年賀状の定番ネタのひとつに、「干支にちなんだ駅」がある。2016年は申(さる)年だった。「申」または「猿」を駅名に採用する駅を探したところ、「申」は3駅、「猿」は5駅あった。「申」「猿」を使った駅名には、どんな由来があるのだろうか?

名古屋鉄道三河線の猿投駅

干支の「さる」は「申」と書く。「申し上げる」の「申」である。じつは、この漢字は「猿」とは関係ない。「申」は稲妻に由来する象形文字で、神が降臨する現象だと考えられていた。「申」が草木の伸びる様子にも例えられ、神のような各上の地位に「申す」という意味でも使われるようになった。もともと「申」は神という意味だったけれど、わざわざ示偏(しめすへん)を付けて「神」という字を作った。

なぜ「申」が「猿」になったかというと、十二支を覚えやすくするためだ。十二支は年だけではなく、月、日、時、方位なども使う。そこで「申」に限らず、干支の文字と身近な動物を関連づけた。2015年の「未」の文字も「羊」の意味はなかった。

 

「申」の付く駅名は3駅

「申」の文字がある駅は、都内を走る都電荒川線の「庚申塚駅(停留場)」「新庚申塚駅(停留場)」と、松浦鉄道西九州線の「真申駅」(長崎県)だ。

「庚申塚」の「庚申」も干支にちなむ。干支と十二支を混同してしまうけれど、干支は本来、十干と十二支の組み合わせだ。60通りあって、「庚申」は57番目の干支である。現代の日本では廃れつつあるけれど、この「庚申」の日に祭事を行う庚申信仰があって、そのシンボルの塔が「庚申塔」または「庚申塚」というわけだ。「申」が猿と関連づけられているため、庚申信仰も猿がシンボルになっている。庚申塚駅の近くには、巣鴨庚申塚といって、猿田彦大神を祀った神社がある。新庚申塚駅は庚申塚駅の隣にある。「新」が付いているけれど、庚申塚駅と同じ日に開業している。

松浦鉄道の真申駅は「まさる」と読む。駅名の由来は不明だ。付近は炭鉱があった場所である。なんらかの「まさる」という言葉に良い字を当てたかもしれない。

 

「猿」の付く駅名は5駅

「猿」の付く駅名には、JR東日本の「猿和田駅」「猿田駅」「猿橋駅」、名古屋鉄道の「猿投駅」、広島電鉄の「猿猴橋町駅」があった。

猿和田駅は磐越西線の駅だ。「さるわだ」と読む。所在地は新潟県五泉市土堀だけど、付近には猿和田郵便局、猿和田駐在所があるという。もともと「猿和田」という地名かもしれないけれど、猿和田駅ができた後で郵便局や駐在所に名づけられたとも思われる。したがって、猿和田の由来は不明だ。和田は「実り豊かな田」という意味だそうで、その田んぼに猿が出没したのだろうか?

猿田駅は総武本線の駅。「さるだ」と読む。付近に猿田神社がある。干支に関係があるようで、庚申の年に祭事があるという。

猿橋駅は中央本線の駅。「さるはし」と読むけれど、1902(明治35)年に官営鉄道の駅として開業したときは「えんきょう」と読んだ。付近にある猿橋は甲州街道の橋で、桂川にかかっている。猿橋は「刎橋(はねばし)」という独特の構造で知られている。両岸の岩に穴を開けて板を差し込み、その上にまた板を重ねて延ばしていく。「猿たちが川を渡るときに、身体を支え合う様子がヒントになった」といわれているそうだ。

猿投駅は名古屋鉄道三河線の起点駅。「さなげ」と読む。付近に猿投山と猿投神社がある。猿を投げちゃうとは乱暴だけど、由来はその通りだった。第12代天皇の景行天皇が伊勢へ向かう途中で、飼っていた猿が不吉なことを行ったため、海へ投げた。その猿が移り住んだ山が「猿投山」と呼ばれるようになったという。

猿猴橋町停留場付近を走る広島電鉄3000形

猿猴橋町駅(停留場)は広島電鉄の路面電車の停留場だ。「えんこうばしちょう」と読む。広島駅停留場からひとつ目だから、広島駅停留場を起点とするすべての運行系統が通る。付近に猿猴橋があり、その由来は猿猴川にかかる橋だから。猿猴とは広島に伝わる伝説の妖怪で、海や川に住み悪さをする。猿のように体毛に覆われた河童みたいな生き物だ。

引用元 http://news.mynavi.jp/series/trivia/336/

 


 

駅名の由来も調べてみると、またとても深い。ラストに出てきた猿猴(えんこう)は広島県及び中国・四国地方に古くから伝わる伝説上の生き物。河童の一種。一般的にいう河童と異なる点は、姿が毛むくじゃらで猿に似ているところ。金属を嫌う性質があり、海又は川に住み、泳いでいる人間を襲い、肛門から手を入れて生き胆を抜き取るとされている。本来、猿猴とは、猿(テナガザル)と猴(マカク)の総称で、サルのことである。この生き物のモデルは、日本の隣国、中国南西部に生息していたテナガザルではないかといわれている。駅の名前が妖怪に由来しているなんて、辿っていけば行くほど興味深い話が尽きない。

 

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SILVIA

SILVIA

夫と2男子の4人家族。昼は会社でワーキングレディ、夜は学びを求めてネットの住人。好きな作家は池波正太郎。好きな作品は「鬼平犯科帳」。勧善懲悪で今日もスッキリ!

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