【涙】ちくわに母を奪われた二十歳の大学生!

【涙】ちくわに母を奪われた二十歳の大学生!

母の死とどう向き合う?悲しみから立ち直るには?二十歳の大学生がある日突然に母の命を奪った「ちくわ」のおでんの前では、目の前のちくわを見るだけで、胸くそが悪かったそうです。こんな憎い殺人ちくわを食べたくはなかったけれど、大好きな母が作ってくれた最後の手料理を残すわけにはいかなかったと・・・

 

 

この、追悼の文を読み死とはなんの前触れもなく突然にやってくるその時をどう生きるのか・・・心の格闘を見せつけられた思いがします。

 

 

突然すぎる別れ・・・

 

寒川さんの好きな食べ物はおでん、特に味がしっかり浸み込んだ、ちくわが大好きだったそうです。寒川さんは2016年12月27日夜、大学が冬休みに入り帰省のため、JR東京駅の新幹線ホームにいました。なぜか母親のケータイにも家電に入れたけれど出なかったので父親に「今から帰る」とLINEした時から始まります。

 

 

新幹線に乗って暫くすると珍しく父からの着信があり、父から「お母さんが亡くなった。今どこにいる?」「じゃあ、神戸の○○病院に来てくれ。」信じられなかった。信じたくなかった。僕はパニックに陥り、のぞみが終点のJR新大阪駅に着くまで、僕は人目を気にせずに泣き続けた。

 

 

待合室のドアの先には、白装束を着た母が安らかに眠っていた。「お母さん…お母さん…お母さーーーん!!!」母の遺体を前に、僕は膝から崩れ落ちて、泣き叫んでいた。母の額に手を当てた時、僕は全てを悟った。父が仕事から帰ると、母が冷蔵庫の前でうつ伏せで倒れていたそうだ。死因は喉に8cmのちくわを詰まらせた窒息死だということ。

 

 

父と2人で実家に帰宅した時、目線の直線上にはIHの上に鍋があり、中におでんが入っていた。母は数年前から入れ歯で、食事中食べ物を強引に飲み込もうとして、ゲホゲホしている姿をたまに見ていた。ちくわに母を殺されたという事実に納得ができなかった。味見をした時に悲劇は起こったんだと思う。

 

 

父と2人で母が残してくれた夕食を食べながら、父は「こいつがお母さんを」やりきれない思いがにじみ出た。目の前のちくわを見るだけで、胸くそが悪かった。こんな憎い殺人ちくわを食べたくはなかった。大好きな母が作ってくれた最後の手料理を残すわけにはいかなかった・・・

 

 

今回の家族旅行は、12月29日に兵庫県の西側に行くことになっていた。ピアニストを目指していた母はクラシック音楽、特にショパンが好きだったので、今度は二人で海外旅行を約束していた。母のパソコンは、僕のFacebookとTwitterとブログがお気に入りに登録されていた。

 

 

お通夜前、終始僕はイライラしていた。毎日3人一緒にご飯を食べたこと…。母は子どもがなかなかできなくて何回も流産をしていたこと。お通夜・お葬式・初七日と母をあの世へ送り出す儀式は全て終わった。僕の心は全く晴れなかった。こうして僕たち家族の最後の家族団らんは幕を閉じた。

 

 

絶望

 

 

母の位牌に向かって手を合わせるのは、いつまでたっても慣れない。年末年始、数年ぶりに、ご飯を炊いて、自分でちゃんとした料理した。父がボソッと言った「お金を貯めても使う人がいなければ意味がない」と心に深く深く突き刺ささる。

 

 

年が明けると、父が仕事に行くようになった。僕は誰とも会いたくはなかった。一生に一度の成人式でも、2次会に行く気にはなれなかった。東京に向かう途中Facebookに投稿したことを死ぬほど後悔した。大学では授業以外では外に出なくなり、僕は1人家に引きこもった。死にたくなった。

 

 

一部の友人に頼り、毎日のように電話した。するとある日友人に「正直、もうしんどい」と言われた。それからというもの、僕は毎晩、学生マンションの一室で朝まで1人で泣き続けた。なんの罪もない、母の人生に終止符を家族から幸せな日常を奪い取った。あの楽しい日々が永遠に続くと思っていたのに・・・

 

 

大学にも、母は僕と一緒に5回来た。下宿先の学生マンションにも3回来た。この死が運命だとしたら、1957年11月11日に生まれた母は59年間、2016年12月27日にちくわに殺されるために生きてきたのか。人1人を助けられないような、役立たずな神はいらない。いるなら、今すぐ!たった今すぐ!!!、母を僕の元へ返して欲しい。

 

 

僕にできる何よりの親孝行

 

 

ボロボロになった僕の最後の命綱は父だった。電話でただただ僕の話を聞いてくれた。心身ともに極限まで追い込まれていた僕は迷わず帰った。夜行バスで実家から東京に戻る日曜日の夜、僕は父に人生相談をした。父は「家のことは気にしなくていいから、好きなことをやりなさい」と・・・

 

 

父から見せて貰ったものは、受験を控える中3の学年通信に寄稿した原稿だった。「みんな、一番いい道を選んでいます。」大切なことは、選んだ道を全力で進んでいくことだと思います。たとえ結果が悪くても、全力を出したことで後悔はしないし、次の目標に向けたまた一歩を踏み出す力がわいてきます。みんな、一番いい道を選んでいて、道は必ず開けます、必ず。

 

 

大好きな父への親孝行は、優先的にやりたい。そして何より、父と天国の母に自分で稼いだお金でプレゼントをしたい、結婚をして孫を見せてあげたい、人の役に立って褒めてもらいたい。これが僕にできる何よりの親孝行だと思うから。迷わないように前を向いて歩いて行こう。きっと人生とは、一番いい道を「選ぶ」のではなく、「作る」こと。

 

 

母の死から1カ月が経とうとしたある日、これまで逃げてきた母の死と正面で向き合おうと思いました。書きながら心の整理ができ、今ではスッキリした気持ちが強いです。誰も経験したくない、親の死。でも、その時はいつか必ず訪れます。死んでから悔やんでも遅いです。だからこそ、自分に今何ができるか考えて、できることから行動に移すことが最高の親孝行です。「幸せは作るものじゃなくて気づくこと」

引用元https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170320-00010001-storys-life

 

 

 


 

 

最愛の人を亡くした悲しみは言葉に出来ないほど、心の奥深くまで、悲しみの涙が果てることを知らないくらい止めどなく流れ落ちて行きます。私も数年前に大好きな父を亡くしました。唯一、息を引き取る一日前まで、父の看病ができたことが救いです。携帯に父の声が消えずに残っていたので、何度聞いたことでしょう・・・今回の寒川さんのようになんの前触れもなくやってくる現実に、今は可能な限り、悲しみ、泣いてください。きっといつか、癒える時がきます。そして、残された方と前を向いて歩んでください。

(キュレーター:remon)

 

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remon

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長女として育ったけれど我儘な部分が多い。 宇宙人的な性格と言われるが本人は、 いつも全力投球で生きてきた。 長く医療の場に身を置いてきたことで 人との心の触れ合いをモットーに 相手の心に寄り添いうということを学ぶ ことができた。 日常の暮らしの中から沢山の 学びがあるよに・・・ 面白いことを求めて走る超わがままな自由人 として、ホットな情報をお届けします。

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